鹿島鍋島藩最後の藩主第13代「鍋島直彬公」は名君の誉れ高く、鋭意藩政の改善、そして振興を図りました。文武の奨励と共に農業・商工業など、産業の発展にも意を用い、藩民もその意図を汲み、刻苦勉励、それぞれの生業にいそしむなど、藩財政も豊かになり立派な治世が続きました。

一方で直彬公は、藩民の勉励苦労に報い、楽しみを共にするため、文久2年(1862年)「衆楽亭」と「衆楽園」を造り、桜を植えて観桜の宴を開きました。そして、自らも漢詩を作り「楽しいかな 衆楽亭上の宴、同じく是衆楽亭下の人・・・百花香を競う東園の裏、乱柳翠を交ゆ西沼のほとり・・・至意衆楽・赤極まれり・明年衆楽を待つ」と歌いました。

観桜会は、明治4年(1871年)の廃藩置県後も続き、桜の下、春の一日を歓喜し乱舞して衆楽に酔うのが恒例となりました。さらに明治16年と明治20年に千数百株を増植。全国屈指の桜の名所となり、大手門より赤門までの散策道は、いわゆる「桜のトンネル雲の道」ともてはやされました。

しかし、「第二次世界大戦」の混乱と相成り、老化や暴風雨などの影響で、桜の樹勢が衰える状態が続きました。これをなんとかしようと、鹿島青年会議所の若者が「元の美しさを取り戻す運動」を提唱。鹿島市そして市民が呼応し、昭和60年(1985年)に「鹿島市桜樹保存会」が結成されました。

そして、毎年2月には、旭ヶ岡公園で、結婚祝・還暦・喜寿などの寄付者が集い「植樹祭」を催しています。

多くの市民の皆様の寄付により昔の「花のトンネル」の華やかさが戻りつつあります。これからも皆様には今後も末永くご協力の上、暖かく見守っていただきたいと思います。

     鍋島直彬像(旭ヶ岡公園)